ブルース・スプリングスティーンとオルタナティヴ・ロック

 

 

 

 

もう1か月前になりますが、11月24日にブルース・スプリングスティーンのライブ映像作品(No Nukes Concert 1979)の上映会が渋谷で行われると目にし、応募した結果当選したので行ってきました。

 

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今回上映されたのはブルース・スプリングスティーンが1979年に出演した、ジャクソン・ブラウンらが発起人となった核廃絶を訴えた活動であるノー・ニュークス・コンサートの映像で、『闇に吠える街』から『ザ・リバー』に至るまでの間の時期にあったスプリングスティーンが1979年に行ったわずか数回のライヴの一つということでEストリート・バンドも含めて脂の乗りまくった時期ということもあり、これをめちゃくちゃ良い映画館の音響で聴けたのは本当に至福の体験でした。

特に1曲目の「Prove It Alnight」とそれに続く「Badlands」は音が良すぎるのとEストリート・バンドのキレッキレの演奏に泣きそうになりながら見てました(近くにいた人は多分普通に泣いてたと思います)。しっかしここでの「Badlands」のボスのボーカルはなんか異常に良いですね...(泣)

 


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当日、30歳の誕生日を迎えたスプリングスティーンが「30歳になったら自分を信じちゃいけないな」と呟いていたのがなんだか隔世の感がありました。当時でもサマー・オブ・ラブはとうの昔に過ぎ去った時代という感覚だったんでしょうけど。

 

ちなみに会場内には往年のファンとおぼしき人が多く集まっており、予想はしていましたが自分のような大学生や20代くらいの年齢の人はあまり見かけなかったです。

アーティスト本人がもう70代に入っているので若い人にファンが少ないのはまあ当たり前といえば当たり前ですが、最近になっても精力的に活動しているし、例えばレディオヘッドなんかはそろそろ30年選手になりますが、今回の上映会の少し前に同じ会場であった『Kid A』と『Amnesiac』の20周年記念盤のイベントに自分と同じような年代の人たちが行っていたのをツイッターで見たりしたのを思い出したりすると、この差っていったいどこからなんだろうなと思ったりもします。

自分も元々そうだったからわかるのですが、90年代以降の所謂オルタナティヴ・ロックから海外のロックを好きになった人にとってはいかにも旧世代感のするスプリングスティーンの音楽はなかなか受け入れがたいように感じてしまうのです。

 

しかし自分自身がアークティック・モンキーズやザ・キラーズの2ndアルバムといった2000年代以降のバンドからの影響でスプリングスティーンの音楽が好きになったこともあって、決して現在の音楽からブルース・スプリングスティーンへの動線が無いとは思いませんし、むしろ最近はそのような動きも増えているように感じます。

 

ということで、今回はブルース・スプリングスティーンの音楽がなぜオルタナ以降のロック好きに聴かれにくいのか、その断絶はいったいどこにあるのかということを探っていこうと思います。

 

目次

 

 

ニルヴァーナ以降のロック音楽

 

 

ニルヴァーナを中心軸として、オルタナティヴ・ロックという80~90年代に起こったロックの一つの転換点とそれ以降のロックについて社会学的アプローチで書かれた書籍『オルタナティブロックの社会学』ではその序盤にて90年代以降のロックファンについて、「80年代のヒーローだったブルース・スプリングスティーンなどについては、完全に無視しているといってもよい。」として旧世代の筆頭としてスプリングスティーンの名前を挙げ、90年代以降のロックファンとそれ以前のメインストリームのロックとの大きな断絶について書いています(ちなみにここでは若いロックファンが遡る必要があると考えているのはレディオヘッドレッチリマイ・ブラッディ・ヴァレンタインストーン・ローゼズなどのバンドまでとされています)。

 

ニルヴァーナが示したそれまでの「商業主義的」ロックを否定する姿勢にリスナーが感化されたのか、90年代前半に生まれた溝はオルタナがメインストリームになって以降、後追いの自分にとってもそこの断絶はなんとなくですが感じざるを得ませんでしたし、90年代以降のロックに比べればそれ以前のものはなんというか野暮ったく聴こえました。

 

ポップパンクバンド、ボウリング・フォー・スープの2004年リリースのヒット曲「1985」は80年代に囚われたある女性の歌ですが、そのサビは「Since Bruce Springsteen, Madonna, way before Nirvana」というラインで始まり、彼女の高校生の子供たちは時の流れを理解できない母親にダサいと言い放ちます。

モトリー・クルーはいつクラシック・ロックになった?」という歌詞が笑えますが、1985年からこの曲がリリースされるまでの間以上の時間が経った現在からみてもレディオヘッドマイブラはクラシック・ロックとはあまり言われないですよね。ニルヴァーナ以前以後の隔絶を感じさせる曲です。

 


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波の音楽から渦の音楽へ

 

オルタナティブロックの社会学』ではロックとされる音楽がある時期を境目にしてサウンド面でどのように変化していったかについて〈波の音楽から渦の音楽〉へという図式を立てて説明されています。

 

〈波の音楽から渦の音楽へ〉とは、それまで波のようにスウィング主体で演奏されてきたギターサウンドに対して、オルタナティヴ・ロックは轟音のギターサウンドエフェクターを用いた歪みやうねりを「渦」として表現し、その重なり合うバンドサウンドでグルーヴ感を演出することへと変化していったことを指しています。

それによってギターソロのある曲は少なくなり、ギターノイズを中心に生み出す音像は80年代にメインストリームでロックと呼ばれた音楽とは一聴して違いが分かるほどになっていきます。

そんな中で、50~60年代のロックンロールへのリスペクトを欠かさず、『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』といった作品で煌びやかなシンセと破裂するようなスネアの音、ボブ・クリアマウンテンのミックスなどにより80年代を代表する音を作り上げてしまったブルース・スプリングスティーンが旧世代の代表になってしまったのはやむを得ないのでしょう。

 

しかし、必ずしもそれ以前のロックの雰囲気を断ち切るバンドばかり人気がでたわけではありません。例えばニルヴァーナと並ぶグランジの代表格バンド、パール・ジャムのようなオルタナティヴ・ロックとされているけれどもブルース・スプリングスティーンオルタナ以前のロックの要素を感じるバンドです。

自分の経験を書くと、パール・ジャムニルヴァーナと同じジャンルの音楽ということだけではよくわからず、ザ・フーの『四重人格』のライナーノーツでエディー・ヴェダーがこのアルバムが好きだったという記述を見てから、パール・ジャムは古いロックと同じように聴けばいいんだと思い、そこから好きになっていきました。

 

オルタナティブロックの社会学』ではパール・ジャムについては歌詞の面からニルヴァーナとともにジェネレーションXの気持ちを代弁したとしているものの、サウンド面での言及はあまり見受けられません。同じグランジの代表バンドであるサウンドガーデンやアリス・イン・チェインズについても「メタル寄りである」など最低限の記述に抑えられている印象です。

その一方で、スマッシング・パンプキンズサウンド面での記述は多く、マイブラなどのシューゲイザーサウンドの特徴と絡めながらオルタナティヴ・ロックの音楽的な側面をこのように表現しています。

オルタナティブロックのサウンドは、聴き手に対して放心と専心の相矛盾した力を要請する。常態的なノイズにどっぷりと浸かっていると、まるで漆黒の海の渦潮に巻き込まれたかのような感覚に陥る。

しかし渦から浮き出ようと必死にもがくとき、視界のない暗闇のなかで茫漠に目を凝らすとき、一筋の光明が見えてくる。それは太陽光であるかも知れないし、幻覚かも知れない。それが救いをもたらすのかさらなる困難をもたらすのかよくわからないが、ともかくそこに近づこうとすると光はふっと消えてしまい、また混乱の渦の中に叩き込まれてしまう。

オルタナティブロックの社会学』 51項

 

ここではオルタナサウンドがある種の儚さであったり、耽美的な表現を伴うもののように書かれており、実際にはそれに当てはまらないバンドも多くいたものの、一種のオルタナ観としてこのようなサウンドの捉えられ方がなされたのは後追い世代の感覚ですが確かな気がします。

 

 

渦のルーツとブルース・スプリングスティーンの共通点

 

渦の音楽の代表的存在として名前が挙げられているバンドがマイ・ブラッディ・ヴァレンタインです。

 


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マイブラはリバース・リバーヴなどのエフェクターを駆使してそれまでに表現されたことの無いようなギターの轟音を作り出していきましたが、『オルタナティブロックの社会学』ではマイブラこそがオルタナティヴ・ロックサウンドの極北にいるとしています。

大資本傘下のレコーディングにおいてステレオの美麗なハイファイ・サウンドを志向していた80年代とは対照的にマイブラはあえてモノラルにこだわり、ギターをサウンドの中央に置いた音作りを偏執的に追求したことでそれまでとは違うオルタナティブな音像を提示しました(『オルタナティブロックの社会学』P52~53)。

 

上の話を見た多くの人が「Back To Mono」というバッジをつけたほど執拗にモノラル録音に拘った音楽プロデューサー、フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドを思い浮かべるのではないでしょうか?

実際に、リバース・リバーブを多用したマイブラサウンドは残響が減衰せずに徐々にせり上がってくるような音になっていて、それに幾重に重ねたギターノイズが歌のパートに入ってもなおその場を支配し続け、さながらギターノイズの音の壁となっています。

 

そしてマイブラのギタリスト、ケヴィン・シールズが影響を受けたバンドサウンドがパンクバンド、ラモーンズの1stアルバム『ラモーンズの激情』で見られるような力強いギターサウンドでした。ケヴィンは自身のギターヒーローの1人にラモーンズのジョニー・ラモーンの名を挙げています。

 


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実際に、ラモーンズの初代ドラマーでバンドの初期の作品の共同プロデュースを務めたトミー・ラモーンはフィル・スペクターの存在を通して音楽プロデューサーという職を知り、音楽の道に進むことになります。ラモーンズは後にフィル・スペクターをプロデューサーに迎えたアルバムも制作したりしますが、初めからギターバンドによるウォール・オブ・サウンドを作ることを狙っていました。

 

トミーは『ラモーンズの激情』のデモテープの制作に関して音の壁の原理を使ったことを述べています。

メロディ上に工夫をつけようと、中音域の和音を使ったんだ。で、アンプを歪ませて出したハーモニクスがカウンター・メロディになってくれたんだよ。つまり、”ウォール・オブ・サウンド”をリフとしてじゃなくて、メロディックなものとして使ったんだ。

『ルーツ・オブ・NYパンク』224項

 

ブルース・スプリングスティーンの話から大きくそれてきましたが、ラモーンズが最初のアルバムを作ろうとしていたおよそ1年前にスプリングスティーンフィル・スペクターに影響を受けた音楽を制作しており、「フィル・スペクターのプロデュースで、ボブ・ディランのような詩を、ロイ・オービソンのように歌う」という有名なコンセプトのもと作り上げたのが、1975年リリースの名盤『明日なき暴走』でした。

 


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ヒットした表題曲は地鳴りのような響きのイントロで始まりますが、まさにウォール・オブ・サウンドな素晴らしい楽曲です。しかし、その男らしく、悪くいうと暑苦しく感じる部分もあるボーカルやギターが前面に出てこない音像はギターサウンドが中心のオルタナ以降のロックに慣れきったリスナーにとってとっつきづらく、そもそもこの曲をロックとして享受しづらいということもあるのではないでしょうか(「オルタナティヴ」なものを先に触れてしまった弊害といいますか...まんま自分のことです)。

 

まあギターが目立ってるかどうかなんて些細なことは気にせず無心に聴けばウォール・オブ・サウンドというキーワードを通じて好きになれるのでは...と思いますが、とりあえずはスプリングスティーンオルタナティヴ・ロックは全然つながりが無いわけでは無くて間接的に繋がっているということをわかってもらえればそれだけでなんとなく印象も変わるんではないかと思います。

 

ブルース・スプリングスティーンパンク・ロックというとあんまり接点なさそうですが、スーサイドとは親交もあり、「Dream Baby Dream」をカバーしたりしてます。1978年にはプロデューサー/エンジニアのジミー・アイオヴィン繋がりでパティ・スミスにヒット曲「Because the Night」を提供したり、フィル・スペクター風のヒット曲「Hungry Heart」は元々ラモーンズに提供されるはずの曲だったりします。

 


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最近見たザ・クロマニヨンズ甲本ヒロトさんとサンボマスター山口隆さんの対談の中でまさにスプリングスティーンパンク・ロックについて話されていた部分があったのですが、パンク勃興の時代に当たってスプリングスティーンがロックファンの目にどのように映っていたかというオルタナ以降のリスナーには感覚的に分かりづらいところが語られていたので引用します。

 

甲本 スプリングスティーンのそれこそ「明日なき暴走」なんか聴いたときは「これだ!」と思ったよ。その直後にパンクロックが出てきてスプリングスティーンの仲間がいっぱい出てきたと思った。

山口 やっぱりスプリングスティーンの存在は大きかったですか?

甲本 今はもうパンク以降の時代だから当時の感覚っていうのは話しても伝わりにくいんだけど、その頃のスプリングスティーンはロック好きなやつを全部1人で引き受けたみたいに輝いてた。ロンドンパンクの地面にはパブロックがあるでしょ。パブロックをちゃんと聴くとほぼすべてのグループがスプリングスティーンに憧れてるのがわかる。それをちゃんと言葉にしたのがグレアム・パーカー。彼は初期のインタビューで「これからどんなグループになりたいか」って聞かれて「俺はスプリングスティーンのような服を着てスプリングスティーンのような歌い方をしたいだけなんだ」と言ったんだ。それがロンドンパンクにつながってるんだよ。

ザ・クロマニヨンズ甲本ヒロト×サンボマスター山口隆|コントロール不能な衝動と妄想で爆走するロックンロール対談 (2/2) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー (natalie.mu)

 

これを読むといかに自分がブルース・スプリングスティーンという存在を表層的なイメージだけで捉えていたかを痛感させられます。

スプリングスティーンの自伝などを読んでいると、本人はパンクの一員とは感じていなかったものの、『闇に吠える街』の制作時には大きくなりつつあったパンクの波を遠くに感じながら、そこに共鳴するものをアルバム制作に持ち込んだそうです。

 

 

今、再注目すべきブルース・スプリングスティーンの音楽

ロックの最前線では影の薄くなっていったブルース・スプリングスティーンですが、ここ数年スプリングスティーンに影響を受けたロックバンドが脚光を浴びることが多くなっています。

 

2010年代初頭に人気が出たThe Gaslight Anthemなどのハートランド・ロック風なパンクバンドからテイラー・スウィフトラナ・デル・レイ、ロードなどのプロデューサーとして著名なジャック・アントノフ、2014年リリースの『Lost In The Dream』で高い評価を得たインディーロックバンドのThe War On Drugsなどスプリングスティーンの影響が色濃い音楽が近年目立っています。

 

特に今年は実際に本人を客演に呼んだジャック・アントノフのバンド、ブリーチャーズの新譜だったり、以前からスプリングスティーンの影響を語っていたキラーズが『Nebraska』を彷彿とさせるようなアルバムをリリース(シングルではスプリングスティーンとコラボ)、ウォー・オン・ドラッグスも新譜を出したりで、これでも一部ですが本人の精力的な活動も相まって再評価が広まっている印象を受けます。

 

音楽以外でも、パキスタン移民の少年がブルース・スプリングスティーンの楽曲を通じて成長していく青春映画『カセットテープ・ダイアリーズ』とか、新自由主義/市場原理主義への批判者としてのブルース・スプリングスティーンを見つめ直す必要性を唱えた長澤唯史『70年代ロックとアメリカの風景』など自分の観測範囲に入るだけでもかなり”ブルース・スプリングスティーン”の名前を見る機会がありました。

様々な側面でブルース・スプリングスティーンが再注目されている中にあって、「古臭い」という理由で彼の音楽が避けられるのはもったいないことだと思います。スプリングスティーンの音楽に何かしらの偏った見方を持っていた人はいったんそれらを捨ててノー・ニュークス・コンサートの映像を見てみましょう!。

かつて「ロックの未来」と謳われたブルース・スプリングスティーンによるロック音楽の理想の形がきっとそこに見えるはずです。

 


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